大変大変ご無沙汰しておりましたブログ
インスタが日記と化しているため、なかなか並行できずにおりましたが
巡りに巡って再始動いたします
そのきっかけをいただいたのは、現在pop-up storeを開催中の糸デンワさん
在店時はお客様との対話はもちろんのこと、
店主のおふたりともじっくりお互いの胸中を交わし合いました
その中でブログの話題が浮上して、淳示さんはブログを綴る際
熟考し何日も時間を要するのだと伺いました
私、そういえば全く書かなくなってしまったなと
ブログ特有の感覚や向き合い方を、すぐに思い出せなくなっていたことに軽くショックを受けた
やりたい!いや、やらなくちゃ
ざわっと胸のどこかが蠢いた
改めて、インスタとの差異を掲示しておこうと思う
インスタでは、活動の告知と日頃の思いを絡め、やや畏まって言葉を紡いでいる
これは言葉も自己表現の一つと捉えているため
私の知る、持ち得る言葉の引き出しの中で、最適で最上の表現をしよう
そのためのツールであり、表現媒体
それなので、一つ投稿を打つのに、長く時間を要することもしばしば
一方こちらのブログでは、頭・心からスッと出てきた
純度の高い言葉をなるべく書き写すように記している
速度のある、ライブ感あるアウトプットだ
そんな考えのもと、以前はマイク入力で試みたこともあった
アーティストってなんだろう
まず、私は、ブランドではなくアーティストである
自身の掲げるアーティストの定義は、具現化した「もの」に価値を見出すだけでなく
生き方を含め、この世に立つ一人の人間の歴史、
命や魂、総じたそれを呼ぶのだと考える
ということは、公私混同というか、そもそも一本であるということで
仕事とプライベートの垣根は無い、として良いものだと、あくまで自身の場合はそれだ
インスタは活動面の紹介をメインとするのに対し
ブログでは、私の思想、人生観など哲学的なことへ触れていきたい
前置きが長くなりました
日々 社会への疑問が絶えない私
年齢に纏わる目標の立て方へ以前から違和があり、今回は敢えて本題としてみようと思う
「私は〇〇歳になったら△△になる」「〜〇〇歳までに△△をやる」
これがどうも私個人としては共感し難い
(以降 私の濃ゆい人生観です。ご興味ある方だけお進みください)
年齢、特にキリのいい数字だと、節目とされがちなのですが
そこに敢えて絶好のチャンスを引き込もうとするのはなぜなんだろう、と
〇〇歳になるまで、チャンスを先送りにする必要性があるのかという疑念や
案外 その何年も先のほうが最適だった、なんてこともあるのでは、とか
年齢を理由にすることで、目を背けてしまう大切なことってある
果たして、期間という枠組みの制定下
その時間や内容に心底納得ができ、着実に歩み進めていけるのだろうか
人生という一本道でイレギュラーな出来事はそう珍しくない
例えば、天災、自分や近しい人の不慮の病など
不意に訪れるそれらはイレギュラーであり、
最早この日本において天災はレギュラー化しているだろう
そうした予期せぬ場面に遭遇した際
年齢から編み出された人生プランは容易に崩壊しかねないのだ
人生の事情はそれぞれで
目標地点についてどうこう言える立場ではないのだけれど
自分は女だから、それなりに年齢と数字に向き合い、拘束され生きているのも事実で
それを持ってしても、こうして綴っている
この場では業務、責務、タスクの締め切りは別のお話です
私自身が心掛けているのは、タイミングを見極める目を常日頃養うということ
最上で最高のタイミングを見逃さない、見落とさない
そして、絶妙なその時が来たら、いつでも飛び出せるように
瞬発力と準備体操を怠らないこと
直感が湧いたら助走し始めること
それが人生の鍛錬のように、ずっとずっと自分に課している
ついでに、その時が最良だったとわかるのはしばらく経ってからだし
まず、様々な出来事に対して俯瞰し、前向きに未来を捉えられる
脳を持ち合わせていないと「成功」とはならない
単に結果論でもある
つまりは、何が言いたいかというと
チャンスを最高のタイミングでモノにできるか、否かは
鋭く鍛え上げた眼光と勘、身体力、運、
それでいて前向きに思考を働かせられる脳、プラスして精神力
それらがバランスよくマッチするかどうかに懸かっているのだ
観点を変えれば、どのタイミングで大きなアクションを起こしたとしても
成功と捉えることではできるわけだ
(ただし、目標設定の内容にもよる)
蘊蓄くさくなってきましたかね
仮に70年健康寿命があるとすれば
何十回かは「節目」と称することができるのでしょう
もし、その節目とするものが、ただ思い出しやすい・覚えやすいというだけで
重要な判断を先送り、若しくは前倒しているのだとしたら
それは果たして本当に節目と言えるのだろうか、ということなんです
数字の概念は後付けされたものですから
私たちの命や人生の道理を、無理くり人が作った数字に当てがわなくても良くありませんか
中途半端で覚えづらい数字の方が、もしかしたら自然な経過点ではないでしょうか
最後に、「思い立ったが吉日」を正当化するものではありません
行動は慎重に、でも勢いはある程度大切に
もう一つ、健康寿命と生命の寿命は全く意味が異なります
人生を楽しむためプランを立てたり、活動時間を逆算するのなら
大前提とするのは健康寿命のほうを盛大にお勧めする
実は、たった今 誕生日前夜を迎えております
明日でわたくし38歳
なんだかね、年重ねてからやりますってなんなんだろうね、って
あと1日待っていたら、この反射力と熱量はとうに失せてしまうよ
ブログ、赤裸々に綴って参ります
最後までお付き合いいただきありがとうございました
photo / 夏に熊本へ訪れた際、宿のそばの居酒屋さんにて。おしぼりの袋。ぶりっ子くまモン