発達と発想の限界値について(再投稿)

 

 

 

 

すっかり冬らしい寒さの毎日

 

 スタッドレスタイヤ履き替えてないけど大丈夫かな、、

 

心配しつつまだお店に問い合わせていないクリスマス前

 

 

 

たまーーーにやってくる、かつてのPV熱が最近またやってきている

 

この高揚感は、曲を聴くとPVの映像を思い浮かべながらゾクゾクするというもの

 

 

最もPVにハマっていたのはハタチ頃

 

デザインやアートの勉強に没頭していた学生時代

 

2年目あたりから映像芸術に興味を持ち始め

 

その一環でショートムービー、MV・PVへ行き着いた

 

 

もう何年も漁りを絶っているのですが

 

こういう機会こそ、個人的な見解を述べさせてください

 

 

MV・PVは、1990年後半〜2000年初頭が全盛期、大成長期だったのではないでしょうか

 

独断と偏見です)

 

 

 

まぁまずは見てみてから、というわけで

 

私の大のお気に入り、大尊敬するムービー面々をご紹介してまいりましょう

 

 

 

 

 

 

 

マドンナ 「Frozen」という、タイトルからして今の時期 冷え冷えですね

 

 

こちらの映像で素晴らしく美しいと感じるのは

 

モーフィングの液体のように滑らかな移行、

 

全体の不穏で神秘的な色調に絡める躍動と、退廃的生命感、身体表現との一致性

 

 

こちら、1998年に発表されたものです

 

 

なんと、25年以上も前に製作された曲、映像だなんて、驚愕ですよね

 

 

 

 

 

 

 

続きまして、カイリー・ミノーグの一曲「come into my world」(2002)

 

 

展開につい見入ってしまう増殖型ストーリー

 

 

 

これを初めて観た時の衝撃は今尚忘れないし、ずっと体を走り抜けている

 

というか、考えても考えても解決できない

 

何をどうして、こんなことが実現できるのだろう

 

 

時間軸の綿密で卓越した計算美が見てとれるのは言うまでも無い

 

 

技術も、物も、今より乏しかった時代

 

限界という限界を突破しようと、凶暴さが滲み出ている 

 

 

発想は技術を超えていく

 

映像や音、纏わる機材だって、今の時代の方が遥かに高性能、高品質なのに

 

これを見たら「もう敵うものはない」って正直に思えてしまう

 

 

 

ただ増えていくだけじゃん!、は確かにそう

 

発想の根本がシンプルなだけに爆発力は強大だ

 

 

反面、実現させるためのプロセスには巧妙な道筋があるから

 

観た人は軽くパニックを引き起こすだろう

 

 

 

 

今回こうして初めてご覧いただいた方は

 

どんな感想を抱いたのか、とても興味深い

 

 

 

 

 

 

 さて、ここから追記と修正を(12/24)

 

本日夕方頃、ブログとTOPページの内容がクロスしてしまう事象が起き

 

バグを修正したつもりだったのですが、

 

一転 元ネタのこちらの記事が一部消えてしまうという事態に...

 

 

同じ内容を綴るのがなんだかな、だったので

 

ご紹介したムービーは同様にし、ちょっと別の視点を交えることにする

 

 

 

 

 

 

 

bjork「all is full of love」(1999)

 

 

いつの間にか年齢制限が科せられていたようですが

 

個人的には、そう過激な表現には感じていません

 

規制は年々厳しくなっていく一方ですね

 

 

このPVを初めて目にしたのは、確か小学生だったように思う

 

深夜のCDTVを寝転びながら、ぼーっと眺めていた時

 

眠りたくないから何となくテレビをつけていた時だった

 

 

白いロボットが身体同士絡め合うのを観て

 

「不気味だな...」というのが率直な感想

 

 

 

当時ロボットというと、遠いか近いかの未来のように捉えていて

 

イメージが湧きやすかったのはターミネーターの世界だったから

 

もうこんな時代に私たちは来てしまったのか、とも痛感した

 

 

 

 

 

 

 

 

最後は明るくいきましょう

 

ジャミロクワイ「virtual insanity」(1996)

 

 

JUNYA WATANABE MANとコラボしたのも記憶に新しいかもしれない

 

 

 

 

このね、何度でも声を張りたくなるのが、表現の熱量と勢い

 

 

原始的な手法でアイディアを具現化できているのは、もちろんそうなのだけれど

 

現代ならきっとCGで再現できちゃうんだろう

 

それも、低コスト、短時間、少人数で

 

 

 

 

 

複雑さ、伏線、詮索を好むこの時代

 

これだけシンプルで豪快な発想力と表現は非常に勇気の要る行為だ

 

 

きっと、ウケがあまり良くないだろう

 

誰にでもできるじゃん。そんなこと。って軽くあしらわれてしまいそうだ

 

 

今回に限ったことではないが「できる」と「やる」は全く違う

 

 

 

 

近年、再解釈とも例えられるような「復刻版」「◯◯周年記念企画」と謳われるケースを散見する

 

再認識、新たな一面を見つけられる素敵な機会だとも感じる

 

 

ただ、あまりに同ケースが頻発しているので

 

いよいよ世の中の、少なくとも日本国内のアイディアは枯渇したんだと悟っている

 

 

革新的なアイディア・物はもう生まれないと揶揄され始めたのは

 

今に始まった事ではない

 

長くものづくりに身を置いていると、業界の変化の察知に自然と敏感になる

 

 

 

 

過去の名品を掘り返し、洗って、磨いて、

 

土に戻しふわっと埋め、磨りガラスで蓋をする

 

 

 

技術はとうに行くところまでは行って

 

既に私たちが操作しきれないほど、発達は膨張を続けている

 

 

 

技術の進歩なしに、画期的な発想は生まれないのだろうか

 

もし、不足を補うようにしかそれが誕生しないのだとしたら

 

私たちは、今後もう拝むことはできないのだろうか

 

 

 

 

四半世紀前の名作たちから、未来への学びを得たい

 

 

 

 

 

 

photo/    今日の朝ごはん

     柿、ヨーグルト、ローストアーモンド、米粉パンにピーナッツバター、人参ナムル、茹で卵、コーヒー